卒業生・在校生の証し

福音を語る者へ

栗野 裕加里

EEとの出会いは、2024年秋にあったCPI Conferenceでした。私は牧師やミニストリーに関わっていたわけではありませんでしたが、仲良くしてもらっていた宣教師家族が招待してくださったので、参加することになりました。今思えば、EEとの出会い自体が私にとって「天与の出会い」であり、一つ一つに神の御手がありました。というのも、カンファレンス自体、子どもたちの体調不良など、行くのをやめる理由が色々とありました。そんな中で、沢山の人が私のために祈ってくださり、「これは敵が必死に行くのを辞めさせようとしている」と気づくことができ、それほどきっと良いことが待っているのだろう、と大きな期待を抱きながら、「何がなんでも行くぞ」という思いが起こされました。

そして、カンファレンスに無事参加することができ、数あるセッションの中で、個人伝道という言葉に興味を持ち、一度EEのセッションが行われている部屋に入りましたが、もう一つの迷っていたセッションがあったので、そちらにも行ってみようと一度部屋を出ました。祈りの中で、やはり個人伝道に惹かれEEの部屋に戻ったのは、神の計らいの他ありません。あの時違う部屋に行っていたら、今の私の人生は間違いなく全く違っていたはずです。今感じている、言葉で表せないほどの喜びや伝道への情熱はなく、家族や友人を救いに導くこともできず、生ぬるいキリスト教徒でとどまっていたかもしれません。

セッションの中で、山中牧師先生が言っていた言葉が心に響き、私も同じような伝道者になりたい、と思わされました。それはまるで、聖書の中でペテロとアンデレがイエスに召された時のようでした。ペテロとアンデレはイエスに呼ばれ、全てを捨てて彼に従いましたが、その時きっと自分の召しを知ったことによる喜びで満ち溢れ、他のことなどどうでも良くなったのだろうと思います。同じように、私も今まで色んなことに興味を持ってきましたが、どこかで自分の使命を果たせていないという思いがありました。EEに出会い、個人伝道こそが私の使命であると確信することができました。聖書には福音を述べ伝えるようにと書かれていることは知っていましたが、それをどのように行えば良いのか分からず、あまり実践できていませんでした。私の家族はクリスチャンではないので、救われてほしいと心から願う反面、神の素晴らしさを上手に伝える自信がありませんでした。EEは、そんな私の不安を一掃してくださいました。なぜなら、伝え方を丁寧に教えてくださったからです。

EEを学んでいく中で、一番の大きな変化は、私自身が福音の素晴らしさを再確認できたことです。今までどこかで神様の良さを味わっているにも関わらず、クリスチャンである事を周りに知られることへの恐れがありました。それは、キリスト教が一般的に「宗教」として見られており、その「宗教」に対して良くないイメージを持っている日本人が多いからです。しかし、この学びを通して改めて、神様がイエス様を通してしてくださったことがどれだけ素晴らしく良いお話であるのかを思い出し、福音を伝えることが相手に迷惑をかけることではなく、むしろ伝えること自体が愛であると改めて思わされたのです。福音の素晴らしさを再確認したことにより、以前の恥ずかしさや恐れは消え、より堂々と、そして大胆に福音を伝えることが出来るようになりました。

今までどこか断片的だった私の信仰が、EEの学びを通し、私の私生活の全てにおいて福音を伝える機会を探すようになりました。以前よりも周りの人のために祈ることが増え、その結果、より意図的に、そして積極的に人に話しかけるようになりました。そんな中で、すでに沢山の証をする機会が与えられており、私の子どもやママ友、そして母にも福音を伝えることができました。誰かをイエス様に導くことができた時の喜びに勝るものはありません。 EEを学び始めてまだ半年も経っていないにも関わらず、今までの約20 年間のクリスチャン生活からは想像できないほどの伝道の機会が与えられ、神のみこころを生きる喜びと共に日々過ごすことができて、感謝の気持ちでいっぱいです。EEを通して、私は単に伝道の仕方を学ぶことができると期待していましたが、神様は、私の想像をはるかに超えて私自身の信仰生活をも全く新しいものにしてくださいました。私の目を開き、周りの人々のニーズにより敏感に気付けるようにしてくださいました。また、私の教会生活においても沢山の変化をもたらしてくださり、教会の体の一部として働く喜びに日々驚かされています。

ぜひこの祝福を皆さんにも味わってほしいと願っています。神様は良いお方です。EEを通して、さらに沢山の人が福音を聞くことができ、救いがもたらされますように。

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