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季刊誌『行きて伝えよ』からぜひ読んでいただきたい記事を掲載いたします福音を伝えることの喜び、祈りの力、家族や周囲への祝福など、歩みの中で起こされた神様の導きと働きが綴られています。

『恵みとは』

恵みとは、本来ならば「受けるに値しないもの」と理解するならば、それが与えられなくても、それが奪われても、それを失ったとしても、「不当な扱いだ」とは決して理解されることはない。恵みとは、本来「私のものではない」と理解するならば、主のものを主に還す

The First Reason

昨日、嬉しい出会いがあった。ニューヨーク市の教育委員会の人物で、長年高校の校長を務められ、今は100名を超える校長たちの監督指導にあたっておられるという。熱心なクリスチャンだった。著書もお持ちで、多言語に訳されているという。NYCの公立高校では、今も「武器スキャン」が行われている。そういう教育環境に

出来ることなら天国へ?

トランプ大統領が嫌いというクリスチャンは日本にも多いことだろうが、彼の信仰が真実なものとなり、神の恵みの深意を悟り、真実な悔い改めと救いの確信に立たれることを祈ろうではないか。先週日曜日(棕櫚の日曜日)、彼は昨年10月にフランクリン・グラハム伝道師から受け取った手紙を突然SNSで公表した。こ

『使徒たちはなぜ耐えられたのか』

(P.116−119より)(永遠の懲罰を語るにあたり)使徒たちは彼ら自身の表現を用いていますが、その内実においては、彼らの主であるイエスが提示した内容を少しも逸脱していません……「利己的な思いから真理に従わず、不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。悪を行う者の上には苦難と苦悩が下り、神に

「永遠」αἰώνιος(アイオニオス) を巡って

P.113より。「永遠のさばき」は、イエスご自身が用いた表現です。それは、さばきの日がどのようなものであるかを示した聖書箇所に由来しています。その時、今では王として天に戻られた人の子が、羊とやぎを分かちます(つまり、ニ種類の人間たちを互いに分別するということです)。やぎに対する御子のことばは

マタイによる福音書 24章15〜28節

イエス・キリストご自身による、世の終わりの成り行きについての言葉が続く。9節〜14節までは、「わたしの名のために」(9節)とあるので、キリスト者、教会に対する苦難、試練についての描写と理解すべきであろう。そして15節に入って、イエスは旧約聖書ダニエル書に記された「荒らす忌まわしいもの」(ダニエル

マタイによる福音書 24章1〜14節

キリストが明言した「世が終わる時」のしるし。①自称キリストが大勢現れ人々を惑わす。②戦争と戦争の噂、民族紛争が各地に起きる。③世界各地で飢饉と地震が起こる。(「わたしの名のために」)9節とあるので以降は信者ついての予言と読むのが自然)④世界中でクリスチャン迫害が起こる。⑤多く

マタイによる福音書 23章13〜24節

イエスによる律法学者やパリサイ人たちへの言葉として、マタイ23章は福音書の中でも最も峻厳な部類に入るだろう。主は公然と彼らを「わざわいだ」「偽善者だ」と繰り返し呼び、その非難を深めていかれる。彼ら自身が天の御国に入らないだけでない。入ろうとしている人々をも妨げていると、主は嘆かれた。EEJa

マタイによる福音書 23章1〜12節

ある牧師が、なぜ祈り会がこれほど少ないのか、それは牧師自身が「生ぬるい」信仰の仲間たちはどうせ来ないだろうと決めつけているからだ、と書いていた。霊に燃えている仲間が数名いれば、まずそこから始めればよい。炎は野火のように広がっていくはずだ、と。「生ぬるい」信仰をどのように霊的に焚きつけるかは、すべての

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