EEの最も実績あるメイン訓練コース
サドカイ人たちが反論できなかったと聞き、今度はパリサイ人たちが「一緒に集まった」(v34)。ここにかなりの熱意ある作戦会議の印象がある。そしてその中で一番の論客が選ばれたのだろうか(v35)。彼は「律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」とイエスに尋ねる。イエスは申命記6章からユダヤ教徒たちも
復活を信じないサドカイ人たちはでは何を信じていたのか。「人は死んだら、それで終わりである。生命の続く限りが信仰の舞台である」ということのようである。現代における無神論者、唯物論者たちの思想(生命の続く限りが人生である)に近い。イエス様は、それは「聖書も神の力も知らない」が故の誤解であると指摘
P.112に、W・G・T・シェッドという神学者の引用を見ることが出来る。パッカーは、それを各所から、拾って繋げて引用しているので、原文を読みたいと思い、調べたら見つかった。https://www.onthewing.org/user/Esc_Endless%20Punishment%20-%
少しこの出来事の別の側面に注目してみたい。私の所属する宣教団体EEJapanは、地域教会が個人伝道に熟達した信徒を育成することを援助する団体である。その訓練会で、「上からの知恵」という現象にしばしば触れる。準備していなかったのに、的確な言葉を気付けば話している自分がいる、という現象である。伝道の
婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。この男についての描写は多くないが、様々なことが想像出来る。タダだと聞いた男はこの招きに即応じた。そうとなれば目当ては食事だ。この宴には王が用意した最高級の料理が用意されていたことが4節から伺える。「だってタダなんだろう?」と脇目も振らず料理に顔を埋め続ける。彼
イエス様のたとえ話が続く。ここでもイエス様は「ぶどう園」というキーワードを用いられる。ぶどう園とは、旧約聖書においてもしばしばイスラエルを意味する言葉である(イザヤ5:1-7、詩篇80:8-16)。このぶどう園の主人は、そこに垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、農夫たちが効率よく
今日の箇所は、ぶどう園に行って働くよう命じられた二人の息子の話。「親父、今日は勘弁してくれ。無理だ。」と一旦断ったが、申し訳ないと思ったか、結局行って働いた兄。「分かったお父さん、行くよ。」と言って、行かなかった弟。 少し文脈からずれるかもしれないが、昨日読んだある記事を思い出した。時事がこ
今日のQTです。いよいよエルサレムに入城されたとき、イエス様が最初に向かったのは宮(神殿)だった。それはユダヤ教世界の心臓部とも言うべき所だった。その宗教の堕落ぶりが、ここに反映されている。両替人たちや、いけにえの動物を売買する者たちによって市場化していた。この時のイエス様は、感情をもはや隠
大群衆がイエスを持ち上げる。偉大な預言者、ダビデの再臨、ローマ軍を蹴散らし、王国の再建、重税からの解放。理想は膨らむ一方だ。だがイエスは、彼らが勝手に脳裏に鋳造したメシア像とは違う。そのような小さな目的でこの世に来られたのではない。だから時に、奇跡を行なっても、こうならぬように「人には決して言う
最初は図書館でこの本を見かけた。読み始めてすぐ、自分で購入することにした。著者の意図に合意したからだ。クリスチャンにとって、これほど読むことが感情的に難しく、同時に読む義務があると思わされる書はないだろう。本書の記録は、ナチスのユダヤ人迫害に、多くのキリスト教会とクリスチャン(彼らをそう呼ぶ