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季刊誌『行きて伝えよ』からぜひ読んでいただきたい記事を掲載いたします福音を伝えることの喜び、祈りの力、家族や周囲への祝福など、歩みの中で起こされた神様の導きと働きが綴られています。

マタイによる福音書 24章15〜28節

イエス・キリストご自身による、世の終わりの成り行きについての言葉が続く。9節〜14節までは、「わたしの名のために」(9節)とあるので、キリスト者、教会に対する苦難、試練についての描写と理解すべきであろう。そして15節に入って、イエスは旧約聖書ダニエル書に記された「荒らす忌まわしいもの」(ダニエル

マタイによる福音書 24章1〜14節

キリストが明言した「世が終わる時」のしるし。①自称キリストが大勢現れ人々を惑わす。②戦争と戦争の噂、民族紛争が各地に起きる。③世界各地で飢饉と地震が起こる。(「わたしの名のために」)9節とあるので以降は信者ついての予言と読むのが自然)④世界中でクリスチャン迫害が起こる。⑤多く

マタイによる福音書 23章13〜24節

イエスによる律法学者やパリサイ人たちへの言葉として、マタイ23章は福音書の中でも最も峻厳な部類に入るだろう。主は公然と彼らを「わざわいだ」「偽善者だ」と繰り返し呼び、その非難を深めていかれる。彼ら自身が天の御国に入らないだけでない。入ろうとしている人々をも妨げていると、主は嘆かれた。EEJa

マタイによる福音書 23章1〜12節

ある牧師が、なぜ祈り会がこれほど少ないのか、それは牧師自身が「生ぬるい」信仰の仲間たちはどうせ来ないだろうと決めつけているからだ、と書いていた。霊に燃えている仲間が数名いれば、まずそこから始めればよい。炎は野火のように広がっていくはずだ、と。「生ぬるい」信仰をどのように霊的に焚きつけるかは、すべての

マタイによる福音書 22章34〜46節

サドカイ人たちが反論できなかったと聞き、今度はパリサイ人たちが「一緒に集まった」(v34)。ここにかなりの熱意ある作戦会議の印象がある。そしてその中で一番の論客が選ばれたのだろうか(v35)。彼は「律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」とイエスに尋ねる。イエスは申命記6章からユダヤ教徒たちも

マタイによる福音書 22章23〜33節

復活を信じないサドカイ人たちはでは何を信じていたのか。「人は死んだら、それで終わりである。生命の続く限りが信仰の舞台である」ということのようである。現代における無神論者、唯物論者たちの思想(生命の続く限りが人生である)に近い。イエス様は、それは「聖書も神の力も知らない」が故の誤解であると指摘

マタイによる福音書 22章15〜22節

少しこの出来事の別の側面に注目してみたい。私の所属する宣教団体EEJapanは、地域教会が個人伝道に熟達した信徒を育成することを援助する団体である。その訓練会で、「上からの知恵」という現象にしばしば触れる。準備していなかったのに、的確な言葉を気付けば話している自分がいる、という現象である。伝道の

マタイによる福音書22章1〜14節

婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。この男についての描写は多くないが、様々なことが想像出来る。タダだと聞いた男はこの招きに即応じた。そうとなれば目当ては食事だ。この宴には王が用意した最高級の料理が用意されていたことが4節から伺える。「だってタダなんだろう?」と脇目も振らず料理に顔を埋め続ける。彼

マタイによる福音書 21章33〜46節

イエス様のたとえ話が続く。ここでもイエス様は「ぶどう園」というキーワードを用いられる。ぶどう園とは、旧約聖書においてもしばしばイスラエルを意味する言葉である(イザヤ5:1-7、詩篇80:8-16)。このぶどう園の主人は、そこに垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、農夫たちが効率よく

マタイの福音書21章22〜32節

今日の箇所は、ぶどう園に行って働くよう命じられた二人の息子の話。「親父、今日は勘弁してくれ。無理だ。」と一旦断ったが、申し訳ないと思ったか、結局行って働いた兄。「分かったお父さん、行くよ。」と言って、行かなかった弟。 少し文脈からずれるかもしれないが、昨日読んだある記事を思い出した。時事がこ

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