コラム

「終戦」

年が暮れる。今年は「終戦80年」としばしば耳にした。しかし我が家にとっての「終戦」は今年だったような気がしている。89歳の父が、今月15日に息を引き取った。
父は戦時中、疎開先で比較的恵まれた環境の中で過ごした。医師であった祖父は徴兵を免れ、近親者に戦死者もいなかった。父は「本の虫」であった。読書に耽り、日本軍の武勇伝に心躍らせているうちに、戦争は終わっていた。戦後も、「焼け野原からの出発」とは程遠い、かなり恵まれた環境だったらしい。
そのせいか。ほとんどの人々が生活の苦しみの中で戦時の価値観を手放していく中、少年は一人で戦争を続けていた。
やがて医学部に進んだ父は、そこで「優生思想」と出会う。「混ぜるな危険」とも言うべき融合であった。父は次第にドイツ・ナチズムが掲げた極端な優生思想に傾いていった。それは生命の価値には優劣があるという思想である。医師がこれを科学的事実と結論付けるとき、生命倫理は危険に晒される。その暴走が、特に第二次世界大戦中、ユダヤ人に対して向けられた。その闇が我が家に入って来た。我が家は旧日本軍とナチスの軍歌が鳴り響く家になった。
父はやがて酒に溺れ、暴力が日常となった。戦場に立った訳でもなく、一発の銃声すら聞いたことのない少年が、戦後数十年を経て、「戦争後遺症」とも言うべき症状に陥っていた。母は心をすり減らし、私が10歳のとき自ら命を断とうとした。私も耐えきれず16歳で家を出た。言わば戦争の三次被害であった。
戦争教育とは、洗脳教育であると言っても過言ではない。現代社会のカルト問題にも類似性が見られる。それは、「解かれる」まで続く奇怪な現象である。それはもはや誰も、本人でさえも、入って行くことの出来ない深層心理の領域にもたらされた得体の知れない何かなのである。
軍事教育とは、あの無垢で想像力豊かな少年の心に一体何をしたのだろうか。もしかすると父の心は、あれ以来もはや彼のものではなくなってしまっていたのかもしれない。
「貧乏くじを引いてしまった」というのが正直な気持ちだった。こういう父親でなかったらどれほど我が家はもっと幸せだっただろうかと。しかし枕を濡らす日々に、私はいつしか祈りを覚えた。「神がいるならば、どうか助けて下さい」と。私は知らない神に祈っていた。
その祈りが聞かれたのか。やがて私はTEAMという宣教団体のメアリー・エレン・グデマンという宣教師と出会った。一枚の英会話学校のチラシがきっかけで、最初は姉が彼女と知り合った。もう随分前に彼女は天に召されたが、今思い返しても偉大な宣教師だった。彼女は寝ても覚めても救霊専心の人だった。
私はやがてキリストを信じる者となった。姉も母も弟も今やクリスチャンである。
姉の弓子は、熊本地震を機に、被災地で仕える専門看護師となった。今も能登で日夜奔走している。弟の直義も、献身し聖書神学舎で学び、聖書言語にすっかりはまった。私とは頭の構造が逆のような弟だ。彼は牧会と並行して新改訳2017の翻訳や編集に今も携わっている。
私自身は、16歳で単身渡米した。現地の高校を卒業し、一時は大学で報道写真や国際政治を専攻した。90年代の冷戦終結という激動は、多感な私に大きな刺激だった。しかし当時通っていたLancaster Christian and Missionary Alliance Churchという教会で、劇的に人生を変えられた。
そこである学び会に出席した。「家族や友人にどうすれば効果的に福音のメッセージを伝えることが出来るか。」これはもちろん日本人クリスチャンだけの悩みではない。米国人にとっても今や深刻な課題である。伝道は簡単ではない。近道などない。だからどこかで腹を括って、何でもいいから、一つ「仕組み」を選んで、謙虚な姿勢でそれを徹底的に知得し体得するしかない。私は幸いだった。良き「仕組み」と良き仲間たちに恵まれた。その訓練の中、ある未信者の母子が泣き崩れて回心する現場に立ち会った。人が救われる瞬間だ。あれを目の当たりにして、人生がもはや同じであれるはずがない。
私たち三人兄弟は、いつしかそれぞれの場所と体験を通して、フルタイムの主の働き人として召して頂いていた。分不相応過ぎる神様のお取り扱いであると自覚している。三十数年間伝道者として様々な人々のお悩みを耳にしてきたが、ナチズムに汚染された日本人家庭は、他に知らない。ヒットラーの名を叫び、アブラハムの子孫を呪う男から生まれた三人が、イエスを信じる者として頂き、その手足としてお仕えする特権に与った。本来は何世代も続くはずだった呪い(出エジプト34:7)を、主権者は、それを我らの代で止めて下さった。「万死に値する」我らに、永遠に続くいのちを与えて下さった。
しかし実のところ「俯瞰」(ふかん)すれば、我が家に起きた救いの御業(最終的に全員)の最大の立役者は、他でもない父であったと言わざるを得ない。今だからはっきり見える。悪魔は父を通して我が家が破壊されてゆくのを高笑いして見ていたことだろう。しかし悪魔は知らなかった。「その故に」神の計画が着々と進んでいた事実を。
ある日、父に殴られ顔を腫らした母が私に言ったことがある。「お父さんと結婚してよかった。そうでなかったら私は絶対にイエス様を信じることはなかったと思う。」未信者だった当時の私は、「それは絶対嘘だ、俺を回心させたくて嘘を言っている」と思った。だが今は全く同感だ。もしキリストと出会えると約束してくれるなら、もう一度あの生き地獄を通っても良いと思う。今ははっきりと理解できる。悪魔のもたらした闇の故に、神の光が差し込んだとき、我らはそれを過ぎ越さなかった。それにはっきりと気付くことが出来た。これは真理だと。闇は光に打ち勝たなかった。そして光はその父にも臨んだ。
2020年7月7日、ちょうどコロナが猛威を振るっていた時期だ。アル中だった父は、遂に肝硬変になり入院した。徐々に体が弱り、心も弱くなった。ここの詳細は『我限りなき愛をもて』(EEJapan)に書いた。彼はついに砕かれた。そして信仰決心の祈りを捧げ、病院で洗礼を受けた。どれほど真実な心で受洗に臨んだかは神のみぞ知るところだが。
父には大いに悩まされたが、今は、彼もまた戦争被害者の一人であったと理解している。あのような人格と行動の人となったのは必ずしも彼一人の選択ではなかったのだと。だから彼の全ての罪を主イエス・キリストの御名によって赦そうと思う。
そして言ってやりたい。「あなたは、ようやく自由になった」と。そして、あなたの戦争は完全に終わったのだと。
N.T. Wrightに言わせれば、天国に行くんじゃない、天国が来るんだということなのだろう。それならそれでいい。ならば父が向かったところを「パラダイス」(ルカ23:43)と呼ぼうか。そこには戦争も病も憎しみも悲しみも涙もないと聞く。そこで野山を駆け巡る自由になった少年の姿が目に浮かぶ。戦争を知らなかった、憎しみも知らなかった、誰にも心を奪われる以前の無垢な少年の姿が。
父よ、また会おう。

明るい施設内のスペースで、車椅子に座った高齢の男性がキリスト教の洗礼を受けている。男性は病院用の服を着てマスクを着用し、膝の上に聖書を置いている。前に立つ牧師が、器に入った水を手にし、受洗者の頭にそっと手を置いて洗礼を施している。そばには付き添いと思われる高齢の女性が座り、静かに見守っている。受洗者の体調に配慮しながら行われる、穏やかで厳かな洗礼の場面である。

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