卒業生・在校生の証し

「語りたい」 が 「語れる」 へ

京都インターナショナルチャーチ ニール・ハートネット兄

アダムは人生を心から楽しみ、毎日を最大限に生きるタイプの人です。よく笑い、怒ることは滅多になく、自分を過剰に深刻に捉えることもありません。私の家族とアダムの家族は、私が生まれるずっと前から親しい友人関係にありました。プールに行ったり、バーベキューをしたり、ただ一緒に過ごしたりと、両家で楽しい時間をたくさん共有してきました。私にとって子どもの頃は友達を作るのが難しかったのですが、アダムや彼の兄弟姉妹と会う時は、いつも本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

高校時代、私は視覚に関わる学習の課題でとても苦労していました。アダムは、点字で読めない本を私のために読み聞かせてくれたり、難しい数学の公式を理解できるまで一つ一つ丁寧に教えてくれたりしました。私がどれだけイライラしても、アダムは決して忍耐を失うことなく、私があきらめないように励まし続けてくれました。

信仰について話すことも時折ありましたが、その頃の私はまだイエス様との歩みに真剣に向き合ってはいませんでした。20代の間は、年に1 ~ 2回会う機会があるかどうかという程度でしたが、再会するたびに、まるで時間が経っていないかのように自然に話すことができました。

中でも特に印象深かったのは、一緒にクリスマスショッピングに出かけたことです。私たちはどちらも大家族なので、全員へのプレゼントを選ぶのは毎回大変な仕事でしたが、いつも大笑いしながら楽しく買い物していました。

信仰について話す機会も少しずつ増えていきましたが、その中で私は、自分の語る内容を聖書に基づいて明確に伝える必要があると痛感しました。それは日本の方々と福音について話す中でも同じことを感じていたことです。人が福音を信じるためには、それがどのようなものかを明確に理解する必要があります。イエス様が誰であり、私たちのために何をしてくださったのかを、はっきりと知る必要があるのです。そして、福音を伝える前に、その人の霊的状態について知ることもまた大切です。

私はEEの訓練を受けるまでは、福音の全体をしっかり説明しきることが難しく、相手が途中で混乱したり、自分の語ることを聖書で裏づけできなかったりという課題がありました。

EEでは、福音の核心部分は人の骨格、聖書箇所は肉、そして証しや例え話は皮膚や顔にあたる、と教えられました。そして、それら三つをバランスよく用いることで、力強い福音プレゼンテーションができることを学びました。

また、例え話や説明は、自分自身の言葉で、聖霊の導きに従って柔軟に工夫することが勧められたことも感謝でした。私はアダムのことを長年よく知っていたので、彼の人生経験に合うように例え話を少しアレンジしました。ある指導者の方からは、罪の深刻さを伝えるためにもっとシンプルな聖句を使ってはどうかというアドバイスももらいました。

このように、EEの方法は型にはめるのではなく、相手の背景に応じて柔軟に適応できるという点がとても素晴らしいと感じました。大切なのは、福音の核心を外さず、できるだけ明確に伝えるということです。

私は「たとえすぐに信じなくても、心に残る福音を語りたい」とずっと願ってきました。だからこそ、昨年秋にEEのクラスで福音を学ぶチャンスを得た時、迷わず参加しました。

ちょうどその頃、京都インターナショナルチャーチで証しを語る機会も与えられました。妻がその様子をFacebookに投稿してくれたのですが、それをアダムが見て、とても喜んでくれました。神様が私に「今こそアダムに福音を伝えなさい」と導いておられることが明確にわかりました。

そして今年の4月初め、ついに彼と福音をじっくり語る機会が与えられました。話が進むにつれ、彼の中でパズルのピースがぴたりと揃っていくように、彼はすぐに喜んでイエス様を主と救い主として信じました。

それ以来、私たちは定期的に連絡を取り合っていますが、彼のうちに新たな喜びと平安があることがはっきりと感じられます。彼は職場でも信仰について語っており、すでに信仰に堅く立つ教会の交わりも見つけました。これから彼を通して神様がなされる御業が本当に楽しみです。ぜひ皆 さんも、新しく神の家族に加えられたアダムとそのご家族のために、お祈 りください。

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