コラム

『技としての言葉』

 

EEのクラスでいつか考えさせられる質問を受けた。趣味の剣道は、個人伝道の現場で何らかの役に立っているかと。確かに両方とも「一対一」という意味では共通点がある。ある範士の先生が、「竹刀で対話をする」という深いことを仰っていた。相手の竹刀と触刃(しょくじん)を繰り返しながら、相手の心を読む、或いは聞くのだと。相手は苛立っているのか、勝ち急ごうとしているのか、恐れているのか、妬んでいるのか。そういう情報は自分の「気位」を作る上で重要な情報である。EEのクラスで伝道対象者に「受動的に」ではなく、「能動的に」相手に傾聴することの重要性に触れる。更に言えば、相手が実際には声に出さない言葉(本音)を、表情や声のトーンや微妙な身振りなどからも聞き取れるようになって頂きたい。その分だけ自分が語るべき言葉の選択が正確になるからだ。

伝道者の言葉はある意味「技」である。技は多く出せば良いというものではない。剣道でも技が多くても「刃筋」がぶれていると有効打突になりにくい。Soul Winningの現場でも同じである。語っていても「淀んだ言葉」というものがある。逆に「澄んだ言葉」というものがある。心に届く「貫通力」を持った言葉だ。ではそのような優れた伝道者になるにはどうすれば良いのか。答えは明白である。一にも二にも稽古である。近道などない。「現場に立つ」を繰り返さない限り上達はあり得ない。EEではこれをOJT(実地訓練)と呼んでいる。伝道は知得するものというよりも、体得するものであると心得たい。
#EEJapan #TillEveryoneHears
#全ての伝道は個人伝道

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