長年愛用してきたフランクリンプランナー。ここ数年別のものに乗り換えていたが、ある友人から刺激を受けて(阿部頼義先生ありがとう😊)初心に戻ろうと言う気持ちになり、昨年末からまた使い始めた。一日の生産性、自己管理性爆上がりである。これをお読みの方でフランクリンプランナーの愛用者という方おられるだろうか。ぜひ共通の話題でフェローシップをしてみたい。
そして去年の末から、これもまたしばらく使っていなかったデボーションブック『リビングライフ』を使い始めた。言葉に表せないくらい『個人礼拝』の質が向上した。これを生み出した韓国オンヌリ教会と、日本ツラノ書院様に心から感謝申し上げたい。この編集出版販売のためにどれ程の労を取って下さっていることだろうか。
最近私の仕事関係の方が、「朝決めた時刻にどうしても起きられない。でもこれは自分が弱い、だらしがないからとは結論付けない」と言っていた。「性善説、性悪説はともかくとして、『性弱説』は信じる。人間はどうしたって生まれつき弱い。願った通りには生きられない。やりたいことが出来ずに、やりたくないことをやってしまう。だから『仕組み』なんだ!」と。
信徒には自ら聖書を読み、その霊的糧(マナ)を毎日豊かに受け取って頂き、自ら成長の道を歩んで頂きたいが、実際は、日曜礼拝出席時に、かろうじて、つまり週に一度だけ30分間だけ聖書の言葉に触れるという状態の方々が、実際は大半ではないだろうか。
説教者は、毎週何時間もかけて(私は要領が悪かったので、ひどい時は20時間位かけてたこともある)聖書という結構ハードな食材を、調理師がそうするように、カットし、炒めるなり煮るなりして、味付けして、更にはちょっとデザートも付けたりして、「食べられる」状態にして、日曜日「お出し」する。講壇からお客様の顔色を伺いつつ…。
礼拝後、「料理長にご挨拶を」などと丁寧なことをしてくれる人もいる。でも辛口意見もある。これでは「贔屓店」を替えられるかも!と徐々に食材は「甘い」「食べやすい」「優しい」ものへ傾斜してゆく。実は、長年こんなことを私がやってきた気がする。「いい説教」「恵まれた」と言われる程、説教者は気をつけた方がいい。それが逆に聖書を読まない会衆を育てているかもしれない。
私が駆け出しの伝道師だった頃、ある韓国人の牧師が、「ひとりまえのクリスチャンになりましょう!」と説教中叫んだ。どうやら、日本語の読みを間違っているらしい。あれは「いちにんまえ」と読むのですと後でお伝えした。でもこのエピソードのせいでこのメッセージは強く私の記憶に残った。彼の説教の意図は、「自分で聖書という食材から、自分で自分への神のマナを拾い食べられる、自立/自律したクリスチャンになりましょう!」と言いたかったのだ。
確かに「自分で食べられない」ということは、霊的な赤ちゃん状態ということだろう。うちには4歳児がいる。最近やっと箸をかろうじて使えるようになった。その成長だけでも夫婦は狂喜乱舞だ。
信仰歴40年でも4歳児がいる。自分で聖書が読めない。
とは言えである。あの分厚い聖書、どこから始めていいか分からない。思い切って読み始めたが意味が分からないので楽しくない。そして霊的な食欲減退…
そうなったからと言って、早急に「自分は信仰が乏しい」、「神への愛が乏しい」とか結論付けない方が良い。やり方が分からないというのと、信仰が乏しい、愛が乏しいは別ものである。
このやり方の事を、最近は『仕組み』と言ったりする。習慣化とは言わない。オートパイロット状態などと言う。
やり方も仕組みも無数にある。だから自分に一番合った良いやり方を選べばいい…
と言いたいが、実はこれはイエスでありノーである。そんなものは存在しないと最初から思っておいた方が良い。私がプランナー(手帳)の選択に落ち着きがないのはこの理由だ。無数の選択という森の中で迷子になった。目標は見えている。心も燃えている。ならばそこに向かうための「到達手段」を最も効率性の高いものに!と探しているうちに集中力が萎えた。気付かぬうちに目標より手段が追求対象になってしまっていたせいだ。罠に落ちた。
多くのクリスチャンの食欲不振、神欲減退の理由もそうかもしれない。礼拝と伝道は、選択の余地なく教会の使命である。ならば次は、『仕組み』だ。でも延々と模索の森をさまよっているということはないだろうか。ならば、プランAは罠だと申し上げたい。そんなものは幻覚だ。プランBを、期日を設けて選ばねばならない。そうでないと永遠に旅は始まらない。
フランクリンプランナーも仕組みである。何を優先にし、何を後回しにし、と生産性向上に向けてデイプランニングを誘導してくれる。おかげであれだけ苦闘した朝5時起きの習慣が、今は定着した。(その代わり9時には就床する。妻にはその分負担をかけている。夜の皿洗いは私がするという条件で交渉は成立した。)
『リビングライフ』も仕組みである。この仕組みでは少食(一日10節から20節以内)が勧められている。その分、熟読が出来る。「わけ分からん!」という聖書箇所の為に、解答ならぬ解説がちゃんと付随している。文脈が掴めぬ読書ほど辛いものはない。
何より、これなら偏読(好きな箇所だけ選び読む)がかなり回避出来る。我々は自分に都合の良い神像を、自分の中に形成する傾向がある。偏読が大きな理由の一つだ。
そしてこの仕組みなら、独りでではなく、仲間たちと一緒に、小さくコツコツ、Small and Steadyで、聖書中心、福音中心の健全な霊性を、個人の人生、家庭、教会内に形成してゆくことが出来る。独り旅ではないのだ。
キリスト教会では、聖書が「誤りなき神のことば」として、語られねばならない。個人、家庭、教会、そして世界にとっての最終権威であると語られ、教えられ、畏れられ、敬われなければならない。でもその為には、聖書が何より愛されなければならない。聖書が大好きでなければならない。
ではどうすれば、あの「はじめの愛」(黙示録2:4)に戻れるのだろうか。聖書が大好き!聖書が楽しい!恵まれる!読んでるだけで涙が出る!QTが一日のゴールデンタイムだ!そんな境地にどうやって帰れるだろうか。
その為の助け手である聖霊様のアプローチは一つではない。幾つもある。でも今回私の身に起きたように、「プランB」で手を打つ、ベストではないかもしれないが、今の滞留を打破するために、この『仕組み』を導入してみる、という決断が、思いがけない回復効果を生むかも知れません。
私のフランクリンプランナーのバインダーに、測ったかのように『リビングライフ』が(パンチで穴を開けたら)ピッタリ収まるのも何だか嬉しい。今最高に幸せだ。
私は決して皆さんより遥か先を歩いているという訳ではありません。いつまた挫折するか分かりません。何度も経験済みです。「性弱説」は私には真理です。
挫けない為に、旅の友の存在が、重要だと感じています。『リビングライフ』愛用者の皆様、支え合えたら心強いです。私たちの教会では、今月22日(木曜日)夜8時(微修正の可能性あり)から、Zoomオンラインの『QT祈り会』が始まります。教会内外から旅人たちが参加します。(ご興味があれば個人的にコンタクトして下さい。)
牧師・説教者依存型ではない、自分で自分の霊的糧が食べられる、「ひとりまえ」クリスチャンとして、この旅路をご一緒に。
