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マタイによる福音書21章1~11節

    大群衆がイエスを持ち上げる。偉大な預言者、ダビデの再臨、ローマ軍を蹴散らし、王国の再建、重税からの解放。理想は膨らむ一方だ。だがイエスは、彼らが勝手に脳裏に鋳造したメシア像とは違う。そのような小さな目的でこの世に来られたのではない。
    だから時に、奇跡を行なっても、こうならぬように「人には決して言うな」と厳しく戒めた。
    我らもまた、理想の人生、家庭、仕事、夫、妻、子供、教会、牧師、信徒……と、勝手に理想像を鋳造してしまいがちである。理想は、失望に変わるとき、思いがけない「敵意」に変容することがある。
    イエスが彼らを失望させたのではない。「そういう者ではない」という訴えが、子ろばに乗る滑稽とも思える姿に込められている。
    我々も、理想のイエス、理想の神を鋳造してしまう傾向を、篤と見極めたい。
    聖書を閉じた瞬間から、それが始まる。そして、それが語り始める。それが指示し始める。最強の偶像ではないか。
    なぜ聖書を毎日開く必要があるのか。自分にもそういう要因が宿っていると謙虚に弁えるなら、その理由は明白である。

    マタイによる福音書21章1~11節の聖書テキストを印刷した資料の見開きページ。赤い下線で重要箇所が強調され、左右の余白には手書きのメモが書き込まれている。ページは穴あきの用紙でバインダーに綴じられ、机の上に置かれている。

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