QT/デボーション

マタイによる福音書 22章34〜46節

    サドカイ人たちが反論できなかったと聞き、今度はパリサイ人たちが「一緒に集まった」(v34)。ここにかなりの熱意ある作戦会議の印象がある。そしてその中で一番の論客が選ばれたのだろうか(v35)。彼は「律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」とイエスに尋ねる。

    イエスは申命記6章からユダヤ教徒たちも合意する正解を述べる。「あなたは心を尽くし、命を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

    この律法の専門家がこの問いをしたのには、何らかの策があったからだろうが、その機会をイエスは与えなかった。イエスは、立て続けに「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさいという第二の戒めもそれと同じように重要です」とレビ記19章の戒めを併用した。どちらも同じくらい重要であると。

    この2つは不可分である。両方ともあなたの全存在を尽くして愛せよという命令である。イエスは、律法と預言書、つまり聖書全体がこの二本の愛を支柱にしているのだと語られた。

    前者であれ後者であれ、それに従っていない者が律法も預言書も語れない。一つ目の戒めには、この律法の専門家も、首を大きく縦に振っただろう。だが、彼は今、目の前の男を策にはめ、結果逮捕に持ち込み、最終的には殺害するという展開を目論んでいるのである。

    この二つ目の戒めは、一つ目とは不可分、表裏一体であるとの聖書真理を聞かされて、何も心に刺さるものがなかったはずはない。彼は、この後も最後までイエスに押し切られる。律法の「専門家」のはずなのに。

    私も何回聖書を通読しても、毎朝イエスに押し切られる。イエスの前に専門家などいない。自分の土俵から押し切られる。これはとても良いことだと思う。

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