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季刊誌『行きて伝えよ』からぜひ読んでいただきたい記事を掲載いたします福音を伝えることの喜び、祈りの力、家族や周囲への祝福など、歩みの中で起こされた神様の導きと働きが綴られています。
婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。この男についての描写は多くないが、様々なことが想像出来る。タダだと聞いた男はこの招きに即応じた。そうとなれば目当ては食事だ。この宴には王が用意した最高級の料理が用意されていたことが4節から伺える。「だってタダなんだろう?」と脇目も振らず料理に顔を埋め続ける。彼
イエス様のたとえ話が続く。ここでもイエス様は「ぶどう園」というキーワードを用いられる。ぶどう園とは、旧約聖書においてもしばしばイスラエルを意味する言葉である(イザヤ5:1-7、詩篇80:8-16)。このぶどう園の主人は、そこに垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、農夫たちが効率よく
今日の箇所は、ぶどう園に行って働くよう命じられた二人の息子の話。「親父、今日は勘弁してくれ。無理だ。」と一旦断ったが、申し訳ないと思ったか、結局行って働いた兄。「分かったお父さん、行くよ。」と言って、行かなかった弟。 少し文脈からずれるかもしれないが、昨日読んだある記事を思い出した。時事がこ
今日のQTです。いよいよエルサレムに入城されたとき、イエス様が最初に向かったのは宮(神殿)だった。それはユダヤ教世界の心臓部とも言うべき所だった。その宗教の堕落ぶりが、ここに反映されている。両替人たちや、いけにえの動物を売買する者たちによって市場化していた。この時のイエス様は、感情をもはや隠
大群衆がイエスを持ち上げる。偉大な預言者、ダビデの再臨、ローマ軍を蹴散らし、王国の再建、重税からの解放。理想は膨らむ一方だ。だがイエスは、彼らが勝手に脳裏に鋳造したメシア像とは違う。そのような小さな目的でこの世に来られたのではない。だから時に、奇跡を行なっても、こうならぬように「人には決して言う
この二人の盲人のことを想像する。この時代にあって、盲人であるということの意味を。ツァラアト患者と同じく、彼らは自身か先祖の罪の報いを受けていると見られていた。物理的に見えないだけではない。社会が「希望が見えない」状態に彼らを追いやっていた。ツァラアト患者たちがそうであったように、ここにも同じ