ブログBLOG

「福音中心とは」

※この記事と写真は、2024年11月のものです。今回のCPIコンフェレンスでも再び、「福音中心の…」という奨励を聞いた。福音中心とは具体的に何を意味するのか。それは当然、福音が何であるかという「福音の定義」にかかっている。しかしその定義が、残念ながらと言うべきか、一つではない。伝統的福音派、

「安価な恵み」

「信じる“だけ”で救われる」とは誤解を与え易い言葉である。「ただ信仰によって救われる」がより正確だろう。キリストを自らの救い主として信じた者は、キリストを愛する者になる。キリストを愛する者は、必ずいつかどこかで、キリストを人生の「主」、「王」、即ち「服従の対象」として受け入れる決心をするようになる。

「神道楽」

我は今日、あの日の「愛」を思い起こす。あの日の「恍惚」、あの日の「感動」、あの日の「感涙」、あの日の「喜悦」を思い起こす。我は、あの「喜悦」に勝る心満意足を、未だ知らない。我は、あの日から、さすらい人である。神の「喜悦」を知った以上、それ以下に満ち足りるという選択を失った

『福音主義とは』

私は、10代で聖書と出会い、それ以来「福音主義」という聖書価値観から、大きくはズレることなく歩んで来た。特に Lancaster Bible College での4年間は、決定的であった。但し在学時(90年代)の LBC には、所謂「聖書主義」的な、極端とも取れる保守姿勢があった。それには、4年間疑

『違った教え』

近所の某教会の掲示板。昨日息子と散歩中に見かけた。福音主義に立つ教会のはずだが、左右両方の記事は、伝統的聖書解釈に真っ向挑みかかって来る内容だ。左は、「天国とは死んだら行く場所ではない」と断定的な物言いをする。来

『驚くべき人間のからだ/神のかたちとして』(ポール・ブランド、フィリップ・ヤンシー共著/いのちのことば社)を読んで

『驚くべき人間のからだ/神のかたちとして』(ポール・ブランド、フィリップ・ヤンシー共著/いのちのことば社)を読んで 最近『ダーウィンの呪い』(講談社現代新書)という本を読む機会があった。意図した訳ではないが、次に対照的な本書を手にした。両書は、どちらも生物学者の声であり、観察であり、その活動の記録で

『技としての言葉』

EEのクラスでいつか考えさせられる質問を受けた。趣味の剣道は、個人伝道の現場で何らかの役に立っているかと。確かに両方とも「一対一」という意味では共通点がある。ある範士の先生が、「竹刀で対話をする」という深いことを仰っていた。相手の竹刀と触刃(しょくじん)を繰り返しながら、相手の心

『ダーウィンの呪い』を読んで

私にとってこのテーマは個人的に重い意味を持つ。私の父が熱烈な「優生思想」を持った医師であったからだ。「優生思想」は、本書でも言われているように、ホロコースト以降も「ソフト」な形で現代社会に生き残った。また職業や研究など携わる分野が何であるかによっては、その人の「優生思想」が、ナチスのそれに近い程に絶

「語りたい」 が 「語れる」 へ

京都インターナショナルチャーチ ニール・ハートネット兄アダムは人生を心から楽しみ、毎日を最大限に生きるタイプの人です。よく笑い、怒ることは滅多になく、自分を過剰に深刻に捉えることもありません。私の家族とアダムの家族は、私が生まれるずっと前から親しい友人関係にありました。プールに行ったり、バ

TOP